メインコンテンツ

インフェクトカラーズのその他の情報

Question:

ブランドの価値を維持するためには…

私は大学1年で、今はブランド分野を中心に大学で学んでいます。
ブランディングを始め、マーケティング等を学んでいるわけなんですが
大学で勉強していくうちに
「ブランドの価値を維持するのに、何が重要なんだろう?」と
疑問に思ってしまいました。

企業ブランドや地域ブランドなど、ブランドの中でもたくさんのカテゴリーがあると思いますが
そういうもの全部ひっくるめて
ブランドの価値を維持するのに何が重要だと思いますか??
個人的な意見や、もしくは維持するために書かれてあるURLがありましたら
是非教えて下さい!!!
よろしくお願いします。

Answer:

■マス・マーケティングを世界で初めて実施し成功する

(マーケットセグメンテーションとターゲッティング)

まずは第一次世界大戦後のパリの社会環境は2分化していました。
特権階級の成金以外の大衆は物的窮乏でした。特権階級以外の
大衆はシンプルで質素な確かな服が欲しかった。「モード」は、一部の
特権階級から大衆へ移行しようとしていたのです。それをシャネルは
見逃さなかった。このマスマーケットのニーズを読みぬいた力こそが、
彼女をの名前を世界に知らしめたことにつながります。

シャネルの言葉から購買にいたる要因を抽出すると、当時の大衆の
欲しい服は、「シンプル」「着心地の良さ」「清潔」の3要因(因子)である
ことがわかります。戦争が終わり「モード」というものが、芸術的かつ
ゴージャスから「機能性」と「シック」なものへとシフトしたのです。そして
1919年から大衆のストリート市場(マスマーケット)で売れに売れます。

もう1つシャネルのマーケティング戦略がここで花開きます。それは
今で言えば、著作権、知的財産権を侵害すること大歓迎したこと。
ええ!と思うでしょ。今なら知的財産権こそがブランドを守る盾みたい
なものですから信じられません。

しかし、1900年代初旬のマーケットなんて、広すぎるしニーズだらけ
なわけで、シャネルがそのニーズを満たすファッションを世に出すと、
皆たちまち買う→あれが売れるんだな、とあちこちでデザインを盗む
→逆にシャネルの名前が浸透していく→結果的にシャネルの広告
及び販売促進が勝手に行われる→シャネル「ウマー」なわけです。

特に、シャネルは、アメリカ市場では大儲けしようです。今アジア
諸国で起こっているコピー商品は、当時のアメリカでは大流行でした。
また、一方で合法的なアメリカ式ビジネスとしてレディ・メイド(既製服
産業)が誕生し、アメリカのバイヤーがパリにわざわざ来て既製服を
大量に仕入れていく。コピーと既製服によって、あっという間にシャネル
の名前は世界に拡がります。この時1930年。ほとんどシャネルが作った
ものではない、「ココ・シャネル」のブランドを着た婦人がたくさん現れた
ようです。彼女は徹してビジネス志向で行きます。こんな言葉を残して
います。

モードに著作権の必要などありはしない。モードは決して自分の独創性
などではないのだから。独創性でないからこそ、それは広く大衆にうけて
広まっていく-これがシャネルの信条。つまり、有名なシャネル語録の1つ
である、「モードは芸術ではない。商売だ」「コピーされてこそ本物よ」
の言葉に帰結するのです。全ては広告販売戦略の成果。このころ
になると、貴婦人たちもシャネルの偽物の服を着てパーティーに出て
いたことは言うまでもないでしょう。大衆の勝ちです。これぞマス・マーケ
ティングの強さ。貴族→大衆ではなく時代は大衆→貴族だったんです。

■シャネルの生産戦略 (ターゲットへ働きかけるマーケティングの4P)

シャネルは徹底的に無駄な装飾を消し、マスマーケットのニーズにあった
「黒」を取り入れました。それをひたすら大量生産、大量販売。誰が着ても
浮かない、かつ機能的で着心地のよい究極のシック、「誰にでも似合う
服」こそが当時の大衆のツボだったわけです。それをアメリカでどんどん
売っていきました。ファッション誌ヴォーグでは、当時のココ・シャネルの
スーツを、「これはシャネルという名のフォードだ」と称えました。
フォードは当時、アメリカ市場でシャネル同様、マスマーケットで驚異的
な拡がりを見せていた自動車企業。1930年代は、まだまだニーズだらけ。
マスマーケットに働きかけた人間こそが勝者なのです。


 

関連商品